映画VERSION1
ある次元ある時間の話
ある映画祭。 大勢が座っている。
暗闇の中からカーテンが開く。
そこにあるのは一枚の大きな鏡。
座席にいる観客がうつっている。
ザワつく観客。
鏡に紫外線ランプの光が当てられる。
青白く文字が浮かび上がってくる。
↓
映画は、鏡を作る。
そこに映っているのは・・
登場人物ではなく。
あなた自身の心である。
と
映画 VERSION2
ある次元ある時間の話
ある映画祭 大勢が座っている。
暗闇の中からカーテンが開く。
そこにあるのは一枚の大きな鏡。
ザワつく観客。
鏡に紫外線ランプの光が当てられる。
青白く文字が浮かび上がってくる。
↓
いい映画は鏡になる。
そこに映っているのは・・
登場人物ではなく。
あなた自身になる。
キュウアト
VERSION1,2の順に作ったのですが、1はどちらかと言えば文学的、2は記号論理学的なものになっています。
気に入っているのは2ですが1も捨てがたく結局は、読む人の好みの問題だと思います。
2について若干解説すると、映画祭での上映ということがあいまって、「他の出品作品はどうか知らないが、いい映画というのは、ただ単に登場人物を映すのではなく、見る人の自分自身の想像力の投影であり、登場人物と自分自身が完全に一致し重なり合う鏡になる時に感動し、はじめていい映画になるということを言っています。
また暗に、これは審査員の力量を試す作品となっています。
つまり、「いい映画は鏡である。」ということを認めるのであれば、現に鏡になっている作品は、この作品以外はなく、当然グランプリはこの映画しかないといっている訳です。
当然、審査員は、この映画の評価をつける訳で、ただ単に無粋に「これは映画ではなく、ただの鏡だ。人を馬鹿にしている。」等と返すのか、それとも、この作品以上のウィットに効いたコメントをつけるのかで、映画作品ではなく、審査員の力量を試す作品になっているのです。
まあ、審査員の力量として実際に考えられるのは、「審査員特別賞」でお茶を濁して、責任を回避するのが一般的ではないでしょうか?
ちなみに、もしあなたが審査員だったらどう切り返しますか?
また、これを実際にやるにあたって、技術的な問題がある場合、つまり、映画スクリーンに大型の鏡を設置したり、実際に紫外線ランプを当てて、文字が青白く浮かび上がるのが困難な場合の簡易版を考えました。
それは、観客の前方に鏡ではなく、小型のカメラ(隠しカメラ等)を置き、そのカメラの映像を後方から、プロジェクター等で今度は本物のスクリーンでライブで流す方法です。
映画 VERSION3
ある次元ある時間の話
ある映画祭 大勢が座っている。
暗闇の中からカーテンが開く。
そこに映っているのは観客自身の映像。
ザワつく観客。
やがて、その映像に文字が一文字づつ浮かび上がってくる。
↓
いい映画は登場人物をかえる。
そこに映っているのは・・
登場人物ではなく。
あなた自身になる。
という具合です。
さて、あなたはどのバージョンがお好み?